『理論の衣装をまとった駄法螺』

千葉の県人 鎌田 留吉

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筆者近影

4月11日付日経夕刊の「マネー底流潮流」に「米国株は割高か割安か」と題する記事が掲載されていた。

割安であるとする論者は、PER*に長期金利をかけた「金利調整後PER」なるものを持ち出しPERは高くても、金利が低いと「金利調整後PER」の水準は下がる、という。S&P500の金利調整後PERは最近0.4倍台で、過去25年の平均(0.76倍)より低い。従って米国株はむしろ割安だ、と断ずるのである。つまり現在の予想PER18倍にアメリカの10年国債の金利0.0225をかけると0.405となる、という論旨である。

私はこの「金利調整後PER」なる言葉を初めて目にした。そしてまず思ったのはこうした判断基準が出てくると崩落は近いなということだ。1980年代後半のバブルのころにその正当性を説明するために「トービンのQレシオ」なるものが喧伝されたことがある。つまり、何か珍奇な理論(?)を持ってこない限り現状は説明がつかないということなのである。

この「金利調整後PER」なるものについていうなら、そもそもPER理論は成長理論であり、1950年代に債券利回りが株式利回りを上回ったいわゆる「利回り革命」を説明するために生み出された理論であり、それを今まさに「逆利回り革命」が進行している現代に説明手段として使用するのは論理矛盾ではないのか?という疑問がひとつある。

更に何故2つの指数をかけるのか?失業率とインフレ率の和であるミゼラブル指数のように何故足し算ではないのか?昔1980年代の「悪名高き6.1%国債」が出たとき、日本のPERは50倍ほどだったろうか。とするとその時の「金利調整後PER」は50×0.06=3である。それに対して、現在の日本のPERは15.4倍、10年国債利回りは0.00004だ。これをかけると0.000616だ。1980年代の3と比較すると4870倍だ。つまり日本の株価はあと4000倍してもよいということになる。

こんなことになる「金利調整後PER」なるものがいかにでたらめな、あてにならない判断基準であるかわかろうというものだ。

Aという事象がバブルであるとして、そのAと比較したBという事象の整合性があるように見えるからと言って、Bはやはりバブルではないか?

丁度1980年代後半の日本経済が不動産バブルによって支えられ、その経済と比較した株式の整合性があるかのように見えたとしてその株式市場がバブルであったように、今誰もが認める債券市場の超バブルと比較して株式市場の整合性があるように見えるからと言って、大局的にはそれは大バブルなのだ。
では債券バブルと株式バブルとどちらが先に崩壊するか?金利は実体経済である。それに対し株式市場は夢幻だ。まず夢が醒めるに決まっている。

2017.4.18 記

〈編集註〉*PER:Price Earnings Ratio の略称で和訳は株価収益率。株価と企業の収益力を比較することによって株式の投資価値を判断する際に利用される尺度。