鎌田留吉レポート
2018年5月18日
『今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし』
千葉の県人 鎌田 留吉
今年の花は早かった。4月28日の連休の初日に「あしかがフラワーパークの藤」と「ひたち海浜公園のネモフィラ」を見に行ってきた。ひと月前から予約し、本来なら花の真っ盛りの訪問になる筈だったが、盛りは過ぎ「まだ見られる」という程度の花であった。
落語なら一緒に行ってもよいという或る女性を誘うため、今、最も面白いと思っている柳家権太楼と今や「人間国宝」になった柳家小三治(写真左)とが出演する浅草演芸ホールの5月上席を提案したところ、その女性は、5月は都合が悪いということであった。
しかし、むしろ私がどうしても見たくなった。連休の立ち見を避け5月7日の午後から休みをとり、1時から9時まで丸々8時間の落語鑑賞をした。というのも、以前現代の名人だと思っていた古今亭志ん朝のチケットを2枚買って心待ちにしていたところ、突然中止になり以後志ん朝は二度と高座に上がることはなかった。
また、まだ桂伸二だったころにラジオで聞いた「鼻欲しい」(生まれてから最も笑った落語)で強烈な印象を持ち、当時、私が一番面白い落語家だと思っていた十代目桂文治の高座を見たあと、1年ほどして彼も帰らぬ人となった。
その告別式場での前落語芸術協会会長だった米丸の険しい顔を覚えている。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と徒然草にはある。花の美しさを愛でる時期はさまざまである。それに対し、おそらくは、もう既に「盛り」を過ぎてしまったと思われるアベノミクス相場も上下動を繰り返しながら下方トレンドをたどるのであろう。
従ってまだロングで僅かな利益を積み重ねることは不可能ではない。しかし株式市場の場合にはショート(売り)で儲けるということが可能であり、そこが花を愛でたりする楽しみとの大きな違いだ。
取りを勤めた小三治を久しぶりにみた。「年取ったなあ」(自分のことを棚に上げて)、最初に抱いたのがそんな感想だった。また首もよく回らないようであった。前から三番目の右端に座っている私と目があった。身を乗り出して、しっかりと目に焼き付けて置こうとする私の迫力を感じたのだろうか、その後2回私と目があった。話しぶりにはさして「老い」は感じられなかった。話を終えるといつの間にか膨らんだお客から大きな拍手がおこった。
出ると外は雨で、「今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花とみましや」という歌が心を過った。
2018.5.15.記