鎌田留吉レポート
2019年6月25日
「彼我の差 - その1」
千葉の県人 鎌田 留吉
オマハの賢人ウオーレン・バフェット氏が、株主宛て書簡の中で「自分の成功の多くが米国の追い風と呼ぶべきものの産物であることを喜んで認める」とし、「米企業・個人が『自分だけで成し遂げた』と主張することは大いなる傲慢だ」とさえ書いている。
オマハの賢人ウオーレン・バフェット氏
バフェット氏が数兆円の資産をなしたのは、彼の類ない投資手法が先ずもって賞賛されるべきであるが、米国に生まれ、米国を愛し、米国を信じ抜いたことへのご褒美でもある。
私の手元に、みずほ証券が四半期に一度改訂している株価・金利・為替の推移表と称するチャートがある。
その始まりは1987年初めで、日経平均は1万9000円ほど。その後3年でちょうど倍の3万8915円まで登り詰めた。その後はいいところなく、2003年には7607円まで下げた。リーマン・ショックの2009年に再び7054円の大底をつけアベノミクスで現在2万1124円(6月17日)を迎えている。要するに、32年掛けて殆ど横這いと言っていい。
このような為体 の日本に対して、彼の国アメリカの1987年初めのダウ平均は1800ドルほど。それがブラックマンデーという一時的下落はあったが、2007年には14164ドルをつけ、リーマン・ショックで6547ドルまで下げたものの、2013年には15000ドルを突破し、2016年末にトランプ氏が大統領に選出されると、上げ足を速め2018年10月には2万6828ドルを付けた。現在26112ドル(2019年6月17日)である。32年間で何と!14.5倍である。
2018年11月に開かれたNPOイカスの交流会で日経の前田昌孝氏が「貯蓄から投資へ」という講演をおこなった。私はそんな流れが起きる筈がないと思いながら聞いていた。1960年代初頭「銀行よ、さようなら、証券よ、こんにちは」という動きが一時的にあった。しかし、1965年の証券不況で脆くも崩れ去り、以後日本人の金融資産は現預金中心を続けるのである。事実、2018年3月末現在で、家計における株式と投資信託の比率は日本が14.9%しかないのに、彼の国では48%も占めている(現預金の比率は日本が52.5%、米国は13.1%)。
日本と彼の国では、株式市場への関心や資産運用に対する関心の度合いが隔絶している。
前田昌孝氏(日本経済新聞)
ヘッジ・ファンドと言われる運用形態が日本には殆どない。日本では投資信託といえばフルインベスト(常に100%近く株式を保有すること、パフォーマンスの差は銘柄の差で競う)であり、下げには滅法弱い。これに対し彼の国では、下げに特化したファンドも多数存在する。
リーマン・ショックに際しサブプライム・ローンに対する Credit Default Swap を安値で静かに集め「史上最大の大儲け」を果たしたジョン・ポールソンのような人間は日本では生まれようがないのだ。彼は世界中の人々が株式の値下がりに喘いでいる最中の2010年に49億ドルの収益を上げた。彼はNY大学の経営学部を首席で卒業し、ハーバード大学でMBAを取得している。そして母校であるハーバードに史上最大の4億ドルの寄付をしているのだ。
この30年間殆どゾーンで動いていたこの日本こそ売りでも儲けられる運用が発達するべきであるのに日本はロング(買い)一辺倒なのだ。
令和元年6月18日記