「彼我の差は何故生じたのか?」

千葉の県人 鎌田 留吉

何年か前イカスの「楽々クラブ」で望月専務理事の代講をつとめたことがあった。その時或る会員の方から「日本では子供の頃からお金に関する知恵を教えていない」という意見が出た。私は当時愛読していた池田晶子氏の言葉として次のことを吐いた。
「商売の仕方や金の儲け方を、早いうちから教えることが子のためだなどと驚くべき勘違いである。世の中のことは、世の中に出てから覚えればよろしい」(41歳からの哲学p59)、「子供のうちには、子供のうちにしかできないことがある」(勝っても負けてもp30)、お金よりも大切なことが沢山あることを先ず教えるべきである、という。

基本的には今もその考えに変わりがないが、ただお金とは先ず貯めて後は「運用するもの」であることをあわせて教えるべきだろうとも考えるようになった。
著名な投資家たちは極めて小さい頃から株式投資に手を染めている。オマハの賢人ウオ―レン・バフェット氏(左=Bloombergより)は11歳の時であったし、世界一の資金量を誇るブリッジ・ウォーターを主催するレイ・ダリオ氏(下=Bloombergより)は12歳のときであったそうだ(ICASの理事をつとめておられる斎藤聖美氏が今年訳された「PRINCIPLES」RAY DALIO著による)。二人は小さい頃からゴルフのキャディや新聞配達のアルバイトで自分のお金を貯めて株式運用を始めた。

日本とアメリカではまた労働観にも違いがあるのではないか。
日本では汗水流して働くことが正しく、机に座って世界情勢を調べ、有価証券報告書を具さに読み込んで稼いだお金にそれほど価値を見出さないのだ。また、日本人にはお金のことを口にするのを「はしたない」と考える風潮もある。

殊に資金「運用」については根本的な差がある。それは「直接金融」と「間接金融」との差によって違っている。前者はリスクを投資家が全て負うのに対し、後者は銀行に丸投げし、運用先を銀行が決め、リスクを銀行が負う。
戦後、政策的理由から日本は預貯金中心の「間接金融」一辺倒になり、「直接金融」が等閑にされてきた。従って、長い年月の間に日本人は「投資」について思考することも、分析することもしなくなってしまった。『自分自身の頭で』世界情勢を読み、為替・金利動向に思いを巡らせ、その上で四季報を手掛かりに個別企業の利益推移・財務状況を調べ、チャートで株価水準を確認し、投資するかどうかを判断するという、資金運用に関する基礎的リテラシーを備えている人が極めて少ない。そして、短期で大きく値上がりすると「噂される」株ばかりを追い求めている。

この32年間の間に日本の株式市場は横這いであったのに、アメリカは15倍近くに化けたという決定的な違いがある。資産価値が横ばいであった国と資産価値が15倍になった国とでは、自ずから「運用」に回す「余裕資金」の量に各段の差が出てしまう。かくして日本では「資金運用という営為」に対する評価が極めて低いものになってしまった。

人口の減少と高齢化が進む日本の株価はこれから大きな試練に見舞われるだろう。中央銀行である日銀が29兆円もETFを買って支えたうえでのこの株価なのだ。日本株に明るい前途があるとは思えない。恐らくそう遠くない時期に世界中の金融資産が大きく下げてからです。

来月からこの欄を担当する勝池和夫氏が得意な、アジアの株式をポートフォリオに加えることが正解になるのではなかろうか? ただしあくまでも大きく下げてからである。
長い間、ご愛読いただき有難うございました。

令和元年8月20日記